無趣味で人付き合いが苦手な女医の家計簿

地方在住。ひきこもり女医のブログ。弱音も収入も晒してます。

今後の働き方。環境を変える&私が医学部に入るまで(小学校編)

dufiioo

こんばんは。
今日の朝まで虚無感でいっぱいだったのに、夕食のカレーを食べたら気分が晴れてきました。

この気分の変動。
もう訳が分かりません。。

昨日は当直だったのですが、17時過ぎから当直室のベッドに横たわり、私みたいな人間がこの仕事をしていていいのかということと、にいやんに心配をかけるくらいなら一人になったほうがいいのではないかということをずーっと考えていました。

仕事を辞めて、今の貯蓄を食いつぶしたら、いつまで生活できるかを計算したりしました。

でも、辞めることを決断できるほど、考えは確信には至りません。考えはふらふらしながら、辞めよう、辞められない、と行ったり来たりです。

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職場を変えることへの抵抗。

こんなときに、非常勤先から常勤への誘いがあるものですから、私の頭の中は混乱を極めています。

今度、クリニックの雇用主と会食があります。
そのことについて条件などを提示されるようです。

今以上に悩みが増えそうで、恐ろしいです。

環境を変えてみるのも一つの方策かと思う一方で、せっかく3年間以上の経験を積み重ねてきた常勤先から離れるのが怖いです。

新しい環境への適応が苦手な私にとって、慣れた職場、人間関係は宝です。

いろんな考えの人がいると思いますが、数年前、私の指導医だった先生は、数年置きに職場を変えるべきだとアドバイスくれていました。

仕事先が変わることで、今の仕事場ではできない経験ができる、知らなかった考えに触れられる。自分を成長させる方法であると。

新しいことを回避したくなるとき、その先生の顔を思い出します。

有言実行と言いますか、その先生は、去年、他の病院へ移っていかれました。

私はそれ以降、出会っていないのですが、新しい職場で自分のやりたい医療を実践されているとのことです。

今後の仕事。

どうなるか分かりませんが、にいやんは「しんどくない方にしたら?どっちも非常勤にしてもいいし」と言ってくれています。私が悩んでいると、にいやんも影響されるので、あまりウジウジしないようにしたいです。

・・・って、決意も虚しく、絶対ウジウジしちゃいますけどね(;´Д`)

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私が医学部に入るまで(幼少~小学校編)

今日、ニュースで京都大学の卒業式の様子が流れていました。

一部の学生が奇抜な格好で出席するのが恒例だそうで、シュールな出で立ちで学長のお話を真剣に聞いている学生さんがいたのが印象的でした。

私の大学の卒業式では、そんなおもしろい格好したヤツいたかなぁ、とボケーっと思い出したりしました。

ちょうど、読者のこやまさんから、「医学部に入るまでどれくらい勉強してきたのか」について記事にしてほしいとリクエストがあったので書いてみます。

母親によると、まさか医学部に行くとは思わなかったとのこと。
幼少期はそんなに利発な子供という感じでは無かったようです。

実家は自営業で、農家でもあったので、1歳から保育所に預けられていました。
早期の幼児教育のようなものは受けていません。

記憶があるのは小学生くらいからです。
歩いて30分のところにある、市立の小学校に通っていました。

低学年の頃から、公文、習字、ピアノを習っていました。公文は、算数、国語くらいだったかな。問題を解くスピードは中の上くらいだったと思います。

習字は上手くありませんでしたが、美術的なセンスはあったので、一度書いた文字を上からなぞって整った字に整形するのが得意でした。
(意外にバレなかった)

ピアノは5年はやったと思いますが、練習がキライでキライで、全く上達しませんでした。今はほぼ弾けません。ちなみにめちゃくちゃ音痴です。

いわゆる、やな子供。

小学校では、テストはだいたい満点でした。

素行が良く、先生にも気に入られていて、優等生を演じるのが得意な、もしくは、優等生ぶるのが好きな子供でした。内心は掃除めんどくさいと思っていたのに、先生の前では、掃除をサボる男子を糾弾したりしていましたね。
(やな子供^^;)

勉強が好きで自ら取り組んでいた、ということはありませんでしたが、実家が田舎過ぎて、近所に同学年の友達がいなかったので、母に言われたとおり、学校から帰ったらまず宿題を終える生活でした。
(あとはセーラームーンの絵を描いたりして、一人遊びしていました)

勉強で苦労した覚えはあまり無く、授業中は優等生らしく、「ハイ」「ハイ」と挙手しまくっていました。

ただ、社会(地理、歴史)は苦手でした。写真を見て、「何という建造物か」などと書く問題は苦手でした。

小学生時代の大きな出来事「入院」

小学4年生のときに転機がやってきます。

とある病気のために入院することになりました。

当初は実家近くの病院にいましたが、途中で状態が悪化し、実家から車で1時間以上かかる大きな病院に転院して、結局トータルで半年間入院しました。この間、治療は安静にすることが主だったので、ほとんどをベッド上で過ごしました。

暇つぶしのために母がマンガを持ってきてくれるようになり、私はマンガと友達になりました。

入院前半は全く勉強をしませんでしたが、転院後は院内学級があったので、そこに通いました。院内学級は、様々な学年の子がいたので、自分に合った学習ができる環境ではありませんでした。

記憶が不確かなのですが、その時期に、算数で「旅人算」や「鶴亀算」などの項目を勉強していたと思うんですね。それが抜けているので、私は上記の項目を理解していません。方程式で解くことはできますが。

暇つぶしで始めた。公文漬け。

安静は続きましたが、マンガを読んでも暇が潰せなくなってきたところに、母が公文のプリントを持ってきました。私は暇に任せてそれをこなすようになりました。

主に算数のプリントで、1日に50~60枚、解いていました。

横のベッドの子はゲームボーイを持っていて、それで遊んでいましたが、私は持っていなかったので、公文で暇つぶししていました。その子が外泊しているときを狙って、こっそり、そのゲームボーイで遊んだことがあります。
(勝手に触ってごめんなさい^^;)

5年生の1学期に退院して元の小学校に戻ったのですが、完全に浦島太郎状態で、体力も落ちていたので、とりあえず登校して一日を過ごす日々でした。

授業を聞いても分からないし、テストも全然解けませんでした。

そういえば、復帰初日は教室でゲロを吐いてしまい、みんなに迷惑をかけました(汗)

体を動かすことはドクターストップがかかっており、体育はお休みで、掃除も免除してもらっていました。
学校まで車で送り迎えもしてもらっていました。←どんだけ。

母親が過保護だと書いたことがありますが、この入院をきっかけにその傾向が強まったように思います。

体育はどうしようもなかったのですが、その他の教科はその後、次第に頭が追いついてきて、再度、テストは満点を取れるようになりました。

小学校のポイントは、

・宿題はちゃんとやっていた。
・特殊な教育は受けていない。
・テスト勉強はよく覚えていないが、それなりにやっていたと思われる。
・入院を機に一度大きくつまずいた。
・公文で算数のプリントはたくさんこなしていた。
・マンガで漢字やいろんな表現を覚えた。

こんな感じでしょうか。

まとまりのない文章になってしまいました。
次回は中学校編です。

明日は出稼ぎです。これを終えると今週のヤマも越えられたことになるので頑張ってきます。

    
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